■なぜ現代日本人は童貞を大切にするのか キリスト教の「強さ」
キリスト教の「強さ」
ようするに、問うているのは、なぜボクたちは禁欲的なのか、ということ。その起源の一つがキリスト教だ。日本には明治維新以降の近代化によって、ドミノ倒しのように、一気に社会が禁欲にかわった。
キリスト教はユダヤ教にたどれる。ユダヤ教には、他の宗教に比べて「強さ」がある。ユダヤ教が、1神教や律法強化をしたのは、バビロン捕囚、ユダヤ王国がバビロニアに滅ぼされバラバラになった中で民族の団結を強化する。
大恐慌時の経済やアメリカの雇用
そもそもユダヤ教は、他の多くの豊饒宗教と異なり、砂漠の民によって作られた、土地に根ざさず、放浪の中で団結するための強さをもっている。それが改めて、強化されたわけだ。それがまさにユダヤ教の強さだ。
キリスト教はユダヤ教の一派として派生し、ユダヤ民族以外の民族に開かれるという特徴をもつ。それでいて強さを継承する。その一つの表れが禁欲だ。1神教への忠誠と、生活レベルで禁欲的規律が作られていく。
ローマ帝国時代という都市化して流動性が高く、豊かであるが、権力が安定しない不安定を抱えた時代に、キリスト教の強さは、流動する人びとを団結する働きと、禁欲による心の安らぎをえる救済と、誰にでも開かれる寛容さによって、広まっていった。それとともに、ヘレニズム時代という、ギリシア思想などの知的な運動を吸収して、豊かで知的な体系化を果たすことに成功する。
キリスト教の純愛思想
基本的には2、3世紀に作られた禁欲的な道徳が、キリスト教の基盤となり、やがて近代日本も席巻し、現代のボクたちの生活のあり方を作っている。たとえばここに一夫一婦制の純愛思想の原型がある。現代の次々作られる恋愛ドラマの根底にある思想はまさにここにある。
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童貞生活は、その源に神への愛がある時のみ聖なるものである。しかしもしそれが結婚蔑視から出ているならば、良いものであるとは言えない。男は妻を、単なる欲望によってではなく、愛徳にもとづいた愛によって愛さなければならない。性的生活にはいかなる不浄も含まれていない。 キリスト教史1 初代教会 ジャン・ダニエル−(平凡ライブラリー)
江戸時代の日本人にはこのような純愛思想はなかった。一夫多妻制だったし、性交も解放されていた。これは日本人が淫乱というよりも、そもそも豊饒宗教では、性は豊作と結びつく、開放的であった。基本的には素朴な宗教は土地、農業と結びついた豊饒宗教なので、性に禁欲的であるのは都会的なハイセンスな思想である。
現代日本の童貞禁欲主義
現代の童貞を特別視することも明治以降に輸入されたキリスト教文化の影響から来ている。もともとは、簡単にばかばか性交していた田舎者に対する、近代化したハイセンスな都会人として、童貞と処女は神聖で礼賛された。
現代の童貞率が高いのはその影響である。現代、童貞を捨てることはそんな難しいことではない。風俗へ行けば終わりだ。しかしあえて風俗に行かないのは、そこに童貞が神聖なものであると考えがあるからだ。愛する人との純愛の先に、童貞を捨てることが正しいというキリスト教的愛の禁欲があるから童貞が守られている。
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童貞が蔑視される本質は性体験がないということではなく、愛する人との純愛を経験していないためだ。だから風俗で童貞を捨てても、素人童貞のような新たな蔑視の言葉が作られている。リア充とは愛する人との純愛を経験している人という意味である。
現代は、風俗嬢の純真みたいなことが起こっている。毎日、売春しているから汚れているわけではなく、それとは別の次元でメンタルな純粋主義がある。性情報が氾濫し埋没するから、より純粋なものの価値が高まる。童貞が、性情報にまみれながら、童貞というラインで線引きして、純潔を守るのは面白い。
性交は相手がいることで、金を払って性交するか、金を払わないか。そして金を払わない場合には急に敷居が高くなる。金を払わない純愛は、純愛ドラマなどメディアであまりに神格化されすぎ、ドラマのような恋愛をしなければならないという強迫観念がある。
幼児性愛という日本人的な純愛主義
このように純愛への敷居が高くなりすぎて、純愛はオタクの「萌え」のように回避されてる。萌えも純愛主義の系譜から来てる。より純粋な愛を突き詰めたところに幼児がいる。幼児はもっとも性的なものから遠い純粋で神聖は存在だ。しかし幼児に神聖な純粋さを見るのは日本人的な考え方だろう。これは、四季の自然を重視しあたらに生まれるものへ神聖さを感じる豊饒宗教文化から来ているのだろう。
西洋キリスト教的な恋愛は結婚を基本とする。結婚できる年齢まで純潔を守った男女がたった一度の愛を交わす。だから結婚を前提としない幼児性愛は異常である。西洋では幼児は未完成な動物と考える。だから幼児は人間になるためにきびしく躾けられる。それにくらべて日本人は幼児に寛容である。
現代日本の異常に高い童貞率も、その起源はまさに2、3世紀にキリスト教の成功にたどることができるわけだ。童貞は一つの例でしかない。現代のボクたちは、もはや意識しないがとても禁欲的な生活をしている。その起源のひとつがそこある。
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